景化 ~富士山から変わる東京~
- 1. 導入 Prologue -
文京シビックセンター から富士山を望む 2010/11/10撮影
東京には富士山が見える空間が多く存在していました。
しかし、現在は都心部の高層化によって富士山が見える空間はなくなってきています。
葛飾北斎の富嶽三十六景にも描かれているように、江戸時代の頃は、富士山が街から見えることが当たり前でした。
そして江戸の人々は富士山が見えることを誇りに思っていました。
- 2. 江戸の富士見 Fujimi of Edo -
江戸の都市構成
江戸で一番最初につくられた道路は、日本橋にある本町通りでした。それは富士山をアイストップとし、富士山と江戸を結びつけるねらいがあったとされています。江戸の街は富士山を基準にしてつくられていました。
本町通りを軸に富士山(国土)、江戸城(幕府)、街路(民衆)の 三位一体の国づくりを目指したとされています。
東京 富士見坂の所在地
東京には富士山が見える場所が沢山存在していました。しかし現在は都心部の高層化によって富士山が見える場所がなくなりつつあります。
しかし、富士山を見えなくしている原因の高層ビルに上がれば富士山を見ることが出来ます。
- 3. コンセプト Concept -
現代の都市に対して肯定的
建築の高層化によって郊外化が解決し、都心回帰が起こる
そのため、現在の都心部からは富士山が見えなくても良い
東京に残る富士見とついた地名からは富士山が見えなくても良い
また、見えないのであれば、見えていたということが後世に残っていけば良い
↓
本提案
富士山を視覚で捉えられるようにするが、現在の都市構造を大きく変える訳ではない
現代のヴァナキュラーに即した富士見空間を創造する
↑
現代の都市に対して否定的
現在の都心部から富士山が見えることが必要だと現代の都市を否定する
独裁的な視点で都市をつくり直す
そうすることで再び富士山が東京から見られるようにする
- 4. 第1の地盤と第2の地盤 Diagram -
第1の地盤から第2の地盤へ
江戸時代には第1の地盤から富士山を見ることが出来ました。それは建物が低層であったからです。
現代では第1の地盤から富士山を見ることは出来ない。それは建物の高層化が原因です。
しかし、富士山を見えなくしする原因の高層ビルに上がれば、富士山を見ることが出来るという矛盾が生まれます。
第1の地盤と第2の地盤のダイアグラム
ビルの屋上部分を第2に地盤と捉えることで、都市構造を大きく変更せずに、第2の地盤に富士山の見える空間を創造します。
- 5. 東京の富士見 Fujimi of Tokyo -
新富嶽15景
本提案では、東京にある富士山が見られる展望台のある高層ビルを15カ所選定しました。
その15カ所の高層ビルの屋上(=第2の地盤)に新しく富士山を見る空間(=富士見空間)を創造します。
富士山と富士山の見える高層ビルとの関係性
東京 高層ビルの高さ 比較
東京 第2の地盤 富士見山の所在地
江戸と東京のオマージュイラスト
- 6. 形態操作 Form Action -
もとある高層ビルの外観をそのまま3,776mm伸ばします。外観は元の形態となんら変わりありません。現状の高層ビルの形態を維持しつつ、第2の地盤に新たな富士見空間を創造します。
3,776mmという高さは、富士山の高さから抽出しました。富士山の高さは、3,776mです。1/1000の高さである3,776mmを新たな富士見空間に与えます。
- 7. 卒業制作展 展示風景 Exhibition -
景化 〜富士山から変わる東京〜(2010年 製作)
模型
プレゼンテーションパネル
ポートフォリオ
2011年日本大学芸術学部デザイン学科建築デザインコース卒業製作展 第3位
卒業設計日本一決定戦 提出
卒業設計日本一決定戦雑誌にて五十嵐太郎氏の推薦文掲載